モチベーション ユダヤ人と金の話

どうも三瓶です。

 

お久しぶりです。年末年始は何かしたようで何にもしていないような、そんな感じで終わりました。休みの前は読めていなかった本や観たかった映画を消化しようと息巻いていたのですが、実際休みが始まると全然体が動かないのはなぜなんじゃろか。

 

それでもなんとかして一冊だけ本を読みました。本当にだるくてだるくてしょうがなかったけど読んだ本、新年最初に読んだ本が上に載せた本です。

 

なんか意識高い系の気分だったのか、これでも読めば頭よくなるかなあっていう淡い期待と、稲葉さんのようなビジネスチックな文章が書けるようになるかもしれないと思いトライしました。結果は惨敗です。ほとんど興味をもたずにただただ文字を追うだけという苦行と化しました。その中で唯一印象に残った部分を紹介します。モチベーションの章に書いてあったことなのですが、お金をモチベーションにすることの危うさが書いてありました。それをわかりやすく紹介したエピソードがこんな感じです。

 

あるユダヤ人がアメリカでお店を開いたのですが、道行く子どもがとにかく「ユダヤ人!ユダヤ人!」と叫びます。困ったそのユダヤ人は子どもたちにこういいます。

 

「私にユダヤ人と叫んだ人に10セントあげよう」

 

子どもたちは大喜びでユダヤ人と叫びます。そして次の日も意気揚々と叫ぶのですが、

 

「今日はお金がないので5セントしか払えない」

 

といいます。そして次の日には1セントしか払えないといいます。そうすると子どもたちは「それじゃあ、あんまりだ」と言って、もうユダヤ人と叫ぶことはなくなったそうです。最初はユダヤ人と叫んでからかうことが目的だったのに、お金を手に入れたことによって、お金をもらうことが強い目的になり、報酬がないなら叫ばなくなるという話です。

 

お金は強すぎるモチベーションになるから危ないということなんですね。これと似た話で、絵を描くことを楽しんでいた子どももお母さん、お父さんに「絵がうまい」と褒められた瞬間、褒められることが目的になってしまうという話を聞いたことを思い出しました。

 

放っておくことも大切なんだなあと思ったのと、アドラー心理学の「褒めない、叱らない、励ますだけ」という言葉を改めて思い出した三瓶なのでした。

 

最後に、「読書とは、一人でしていても惨めにならない数少ない趣味」という林真理子の言葉を添えて終わります。