動物学者が死ぬほど向き合った「死」の話

【おかみの夏休み前の、読書途中の感想文】

動物学者が死ぬほど向き合った「死」の話

をゆっくり読んでいる最中です。

忙しい最中に、超ハイストレスな案件が飛び出てきたり、

いつもなら ネットでさっくり見つけて、パッと届く筈のものが、3回に1回くらいの割合で来なかったり、

そんな事が、中途半端なボディブローの様に堪えるんだけど、耐えられないほどでもなくダラダラと続く…

そんな環境にいた、つい二ヶ月前見つけた本。

まぁ、私は面倒くさいといつも、さっさと死にたくなるんだけど、

死ぬ前にやっておかなくちゃ、

と言う 後ろ向きなパワーを 生きる原動力にしている 面倒くさい系おばさんです。

死にたいは、生きたい。

生きたいはこの場合(楽して)

が付きます。

そして 楽に何もせずグダグダしていると

「死んでるみたいに生きたくない」

ってパワー全開で歌う渡辺美里(昭和生まれなら知ってる)が頭の中に出てきて、実に面倒な世代に生まれたことを呪いたくもなり…

という事で、最近「インド人の本気の先生んとこで、ヨガの練習してる先生」

(練習じゃなくて、修行ってんじゃね?)

に、ヨガの哲学のお話を小出しに聞いています。

死んでもすぐ次に生まれ変わるって言う

よく聞くけど絶望的な話をされて

「そう言うの嫌だ 死んだら何にも無しがいい」といったら、

それは輪廻からの解脱ってヤツだから 結構大変だよ、って話で 更にうんざり。

そういうのも含めて、信じようが、信じなかろうがスルッと楽して死にたい(生きたい)

で 漸く死についての本書ですが、

帯にやられて買いました。

「死なないように進化できないのはなぜか?」

…それな!!

ツノゼミが、アリンコや葉っぱの形になって 敵から身を隠したり(隠れてないけど)

ほんの数十年 正座の生活から離れて、栄養状態が良くなっただけで

極東の島国(ジャパン)に住むニンゲンの子供の脚の長さが伸びたり、

生き物って ダーウィン先生が小鳥のクチバシ見て気付いた通り進化してるのに、

死なないのはナシ!ってのは不思議。

勿論偶然じゃなくて、必然だろうから、そこら辺知りたくもなるよね。

本書の中では、死とうんこ、死と悲しみ、死と腐ること ナドナド、飽きさせない描写と、

色々な人の 科学的な意見や、感情叙情的な意見を取り上げ

でもね、どうなの?

って問い続けているトコまで

今 読み終わってる。

私の好きな HBお友達写真家の

宮崎 学 氏も、死についての素晴らしい写真集などを出していて

死と、その生き物の死が与える、自然や 他の生き物への影響なんかを、猟師的推察のもとに仕掛けられた、ロボットカメラで観察されているのでコッチも是非オススメよ。

もうゆるしてください

と 書いていた、保護すべき親になぶり殺されたあの子の死と

先の水害で失われた多くの命。

死って本当に

残されたものへの あるパワーを与えていく

って言ってた、星野道夫さんのあの言葉通りだね。

おかみ@今日は柔術あんまり関係無し