昨夜、柔道クラスのあとで、 小室先生が講道館から、持って来てくださった柔道初段の昇段証書と、柔道の黒帯ををいただきました。
私がブラジリアン柔術を最初に始めた時、(31歳) おかみが最初に所属したパラエストラ吉祥寺代表の高谷先生は、学習院大学の柔道部監督でもあり、 柔道の話をよくして下さいました。 先生が壁を相手にしている打ち込みの その足が、1センチとズレない所に毎回運ばれるのをみて 何万回 この人はこれをやって来たんだろう。といつもみとれていました。
毎週火曜日は、立ちのスパーリングの日があって、
白帯の頃から立ち技に慣れるようにしていただいていたので
柔術白帯の女子の中では、さほど立ち技が怖いと思わずにいられました。
白帯最後の試合では、2階級上の相手に、大外刈りが2回も決まって気をよくし、
「アタシ・・・なんか立ち技出来るかも」 という 間違った認識に陥りました(恥)
青帯になって、その認識が間違いだと気づきはじめた頃
ブラジルで行われていた、世界大会に出場、
そのころ16歳くらいだった、アナ・カロリーナ選手に緒戦で当り
ブチ投げられて、腕十字で一本取られて負けました。
この狭い世界で、私のやっていた事は、こんなにも通用しないのかと、
チジューカ テニスクルービーの体育館で、情けなくて泣けてしょうがなかったです。
・・・が、試合が順調に進むにつれ、一緒に見ていた中井祐樹先生が
「アキカワさんの相手、あれ、相当強いですよ」
と、指差した彼女は、殆どを一本勝ちで駆け上がり優勝していました。
めそめそ泣いていたのに、なんか上機嫌になって来ちゃって
「投げられなかったら、今度はまともに勝負できるんじゃないだろうか?
私の先生は、柔道家でもあるのに 柔道も知らないままでいる事はちょっと、アレだな」
と、いらん事を思いつき、帰国後すぐに講道館に入門
柔道のお稽古してから、柔術に行く二部連を開始→ ・・・半年で挫折(早ッ)
長い長い、柔道との出会いと、最初の別れを経て、
2008年、トライフォース五反田を設立。
柔道クラスで、荒先生に柔道を習うことで、柔道を再びスタート。
その後、荒先生の後任で、柔道クラスを担当して下さった、小室先生と再会し、
小室先生の、提案で、 皆で柔道の黒帯取れるように、チャレンジしてみよう!と
講道館での月次試合にチャレンジを始めました。
負けてばっかりいながら、3ヵ月毎にしかない月次試合に 飛び飛びで参戦、
負けばかりを繰り返しなんとか、勝ち点を獲得し、
臨んだ昇段試験には 形が(うまいのは形だけじゃないけど)達人級に上手で更に体重が軽い、
理想の相手、後藤君が務めてくれたおかげで、クリア。
後藤君には、よくこのボケ老人を介護をしてくれたと、心から感謝しています。
昨夜、小室先生が、お話して下さった、
「諦めなかった証拠の、価値ある黒帯ですし、白帯です」
と言う話は、 とても心に沁みわたりました。
諦めなかったんじゃない。
小室先生がいつも試合や指導に、真摯な姿勢で、取り組んでいるのを見続けていたから
諦めたくても諦められなかっただけです。
五反田のみんなや、元の道場の朋友が、私のお世話をしてくれた事を考えると
途中で諦める選択肢が無かっただけです。
ホントにホントに、
みなさんありがとうございます。私1人じゃ、絶対無理だったもん(最初にくじけてるし)
中学生でも取れる、誰でも持っているといわれる柔道初段を
こんなに喜んでいるのは、日本で1人だけの自信があります。
・・・さて、50歳も目前の、老眼で膝も股関節も、ガタがきて
柔術もまともにできなくなっているおかみですが、
いらんことを、また思いついています。
2段にチャレンジするぜ!!
まだまだ、
「勝ちの途中」にいる道のりは続きます。
苦笑しているみんなの、困り顔が目に浮かびますが
よろしくお付き合いください。
還暦までに、2段取るぞ―――!!!!!
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おかみ